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6月30日、今年も半分終わりました。
と、あちらこちらで聞いたのではないでしょうか。
今月、何度か耳にした言葉がありました。
思い浮かんだ言葉がありましたので書かせていただきます。
今回は表情とはあまり関係しませんし、文学少女のような文になりました。
興味のない方はスルーしてください。
=自分の感受性ぐらい=
私にとって今年前半は、目まぐるしくいろんなことが起きた月日でした。
経験から得た価値観や大切にしてきた感性が変わる時がありました。
それは、急にグラッときて立ち直したら変わっていた、という感じです。
もちろんこれまでにも何度も何度もグラっとしてきました。
一方で、長い間答えが出ずにずーっと頭の中に巣作って
私の一部になって、それに支配されてきたものもあります。
そんな時、出会った言葉が、ガツンと頭と心のどこかの何かを壊してくれたものです。
コロナ禍、様々な不安や疑念に飲み込まれそうになっている方々の声に出会いました。
マスク、ワクチン、新しい生活様式、そもそもコロナはない・・・。
その度に聞こえた、ため息のような怒りのような
「何が正しいんですか」
肩から絞り出したその声を聞きながら、思い出した詩があります。
『自分の感受性くらい』茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
人のせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収
この詩、ご存知でしたか。
正確に書こうと思って検索していたら、茨木のり子談より抜粋した文章がありました。
自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。
そうしたときに、自分の感受性から間違えたんだったら間違えたって言えるけれども
人からそう思わされて間違えたんだったら、取り返しのつかない嫌な思いをするっていう
戦争時代からの思いがあって。
だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」なんですけどね。
一篇の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです。
自分で考えて決めたと思っていることでも、誰かのどこかの情報の寄せ集めだったりします。
それでも、自分で決めたと思っているのだからまだいいです。
「なにが正しいんですか」
世界中が、初めての経験をしています。
混乱して当然。
でもその、自分は正しくありたい、と思うのは果たして誰の声なのでしょうか。
正しいという価値は誰のものなのでしょうか。
“自分の感受性ぐらい”と言われましたが、それさえわからないから不安なんですよね。
だから、どうしたらいいんですか!
と怒られそうです。
今、答えが出ないからと言って、
自分が駄目だとか間違えているとか
そう考えるのを少し先送りにしてもいいのではないかと思ったりします。
その代わり、自分に向かって
“自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよ”
そう呟いてみてはどうでしょうか。
そして、鏡を見てください。
眉間にシワができていたら、答えが出ない問題より
そのシワなんとかしましょう!
前頭葉が疲れているサインです。
感受性が鈍っていますね〜。
ガツンときた言葉はありますか?
今月も読んでくださってありがとうございました。
マスクを濡らすと、一瞬ですが涼しいですよ。
お手洗いの後、マスクの裏にちょこっと水かけたりして凌いでください。
また来月!